SSブログ

端午の節句に鯉のぼりを立てるのは?

「端午の節句」と言うのは中国から伝わった五節句(五節供)の一つです。

五節句(五節供)とは?


節句(節供)とは年間の節目となる年中行事およびその日の事で五節句(五節供)は以下の5日あります。
1月7日: 人日(じんじつ)
3月3日: 上巳(じょうし)
5月5日: 端午(たんご)
7月7日: 七夕(しちせき)
9月9日: 重陽(ちょうよう)

端午の節句とは?


元は旧暦の最初の午(うま)の日(2月)、つまり端午の日を祝うものでしたが、新暦になりそれが5月5日になったので、「端五」とも書くようになったと言われています。
1948年に「子供の日」の日として制定され、国民の祝日になっています。

鯉のぼりを立てる由来


中国の楚(そ)の政治家・詩人、屈原(くつげん:紀元前343年1月21日頃 - 紀元前278年5月5日頃)が、失脚し、放浪の果てに、汨羅(べきら)に身を投じたため、楚の人が屈原を哀れに思い、紙の鯉を作ってまつったことにはじまると伝えられています。
日本では室町時代(1336年から1573年に至る約240年間)に長い布を半月形にたわめた竹に張ってこれをさおにつけ、戦の時ののぼりのようにした吹き流しを武士の家だけが立てる習慣が生まれたそうです。

江戸時代(1603年から1867年に至る265年間)に入ると、武士だけでなく町民の家でも、この吹き流しにならって、紙で作った鯉を竿頭にあげるようになり、これを「五月鯉」と呼ぶようになったそうです。

「鯉の滝のぼり」と言われるように、鯉は威勢の良い縁起物として男子の立身出世を願って立てられる事が定着しました。

鯉のぼり

  

柏餅を食べる習慣は?


5月5日の「子供の日」には柏餅を食べる習慣がありますが、これも屈原に関係あるようです。
それは、屈原の姉が弟(屈原)の死を弔うために、弟の命日に餅を作って、身を投じた汨羅(べきら)に投げ入れた事からはじまったと言われています。

菖蒲(しょうぶ)湯の由来は?


「男子たるもの武を尚(たっと)ぶべし」といったことから、「尚武(しょうぶ)武道・武勇を重んじること」を「菖蒲」にかけたと言われています。
そのため、「端午の節句」を「菖蒲の節句」とも言いますが、菖蒲とアヤメが似ている(菖蒲はアヤメの古名でもあります)から、「アヤメの節句」とも言われています。

nice!(20)  [編集]
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 20

Copyright © 知っておいて損しない雑学情報 All Rights Reserved.
当サイトのテキスト・画像等すべての転載転用、商用販売を固く禁じます
FX

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。